令和が始まり、他人の評価や成績などまったく無いのに自学ノートを書き続けたドキュメントを見た。
梅田明日佳君という子だ。
小3で与えられた自分でやりたいことを探して課題をこなす。
新聞から選択して切り貼りし、感想を書くだけではなく、
新聞記事元にアポなしに出向き、書いた内容を見せるだけではなく、
新聞記事元が読んで感想を書いていただける押しの強い子。
自分が小学校・中学校の時は宿題はしなかった方だ。
中学の宿題も拒否した方。夏休みの宿題で、うるさい社会は9月末に出したが・・・。
当然、私も「変わった人だ!」って言われた側。
個性の固まりなので趣味思考は合うことはないし、クラスメイト見ても将来何になりたいのかもわからない。
学校という箱の中では未来が描けない。
番組を見た方は「変わった人だ!」っていうことになるでしょう。
しかし、梅田明日佳君は「子どもで生きるのに必要な道を模索した結果を見つけたひとり」と思っている。
ノートに書くのは自分の考えや計画を形にする事であると思う。
一方で「きれいな字が書けるようにする為」や、「宿題をこなすこと」は大反対である。
きれいな字も宿題をこなすことも個性を生み出さないし、アウトプットが同じただの修行と思うからだ。
教員免許と自動車運転免許の違いとは何かと考えさせられる時代である。
自動車運転免許を所持しておれば、自己責任の下で道路の標識など守れば自由にどこでも行けるのに。
現代の教員免許は親のクレーム処理と教育委員会の通達が仕事になり、
本来の社会に送る子どもの個性は無視しているのが現状だ。
ブラック校則も未だに存在するし、そんなに型にはめたいのか。
個性を露出させない考えがいじめをつくるひとつで有ると考えるし、
科学離れや有名大学合格が目的化し、大学行っても好奇心まったくない子など
本当にやりたい人のジャマしているのが今の社会です。
例えば公民で「納税の義務」を学習したはず。
しかし、「公立の中学校」であれば「その街の教育委員会もあれば」「納税するひとつの役所もある」はずだ。
学習の中で「納税の種類や金額を授業で提示したこと」あるだろうか。
「高校行ったらアルバイトだー」給料から自動的に源泉徴収=納税の義務を果たした。と思う。
しかし、大学卒業し、給料から源泉徴収しているのに、社会人二年目に県民税や市町村民税が届き、社会に出てから知る卑怯な手段。
給料直前であれば使う前なのでまだ良いが、納税通知書を10日前までに発行できれば問題ないと法律にあるので、
だらだらと6月中旬に納税通知書が届けば、借金してでも準備しなければならない。
「社会人2年目 納税」と検索しても中学校で教えない事情が見つかる。
役所の中見てもデスクしか見ていないのに予算化して納税を押し付けて、未来の子どもを育成する気あるだろうか。
納税の義務を負わせながら、社会に放り投げる前に、学校にじめない子は少数学校で学ぶ場を作ったり、
病気などで学べなかった子やスタートラインに置き去りになって卒業した人に夜間中学校を設置義務化すべきである。
病院で生活した子が文字も読み書きできないまま義務教育という名を卒業し、
「漢字も読めない書けないでバスにも乗れない」って税金が正等に使われた証だろうか。
重度な障がい者は税金でも助けているが、他にも手を差し伸べなければならない人もいるのが現実だ。
シャッター通りを作っているものも街の行政責任も放棄している。
法人税の滞納は痛いので、期限内に納めて欲しいからブラック企業であろうが見て見ぬ振りをする。
一方で、差し押さえしても痛くない個人や個人事業者には冷たいのが役所の考えだ。
中学生の知識が無いまま高校に流し、さらに大学で中学校の授業する教員免許を履き違えた事も。
東京都に中学の国語・数学・英語が学びなおせるチャレンジスクールの高校はあるが、本来は国の責任で地元の夜間中学校がやるべきだが。
13歳から学びなおせる夜間中学校は大人が作ったレールに乗り遅れた人にも学びなおせる道だ。
障がい者差別解消法にも未だに夜間中学校が無いのは抵触すると考える。
「文字をきれいに」だが、「きれいに書いたから頭がいい、文字が汚いからバカだ」って言っている人の考え方を見直すべき。
文字をきれいに書くには脳の指令もひとつ考える。文系や理系向きと同等に書くのは下手だがモノを作るは得意など個性があるからだ。
そして、「読み書き障害」が意外と多い。説明が出来ず悩んでいる10代も多いはすだ。
複雑な要因も考えられるので個性のひとつにすべきと思う。
大学も大学で問題だと思う。
例えば学芸員で言えば学芸員科で学び取得すると思っていたら、
まるで数時間学び、卒業したら取得するという学芸員の責務を無視した考えで、
ノート書けば博物館で説明や責務を果たせる軽い資格であること。
子どもの好奇心を軽々と見ているような・・・。
そして、さまざまな障害や個性がありながら情報として人間として伝えていない現実。
教員免許与えた国の責任で、教員は「出席簿と通信簿、そして指導要録」だけ書き、親のクレームには対処せず、目の前のこどもの個性を尊重する授業の内容に集中すべきだと。
本題に戻るが、
梅田明日佳君という子は「新聞を読み、自分の考えで記事を選択し、自分の考えを文字化する」行動力があることだ。
新聞を読まないと言われているのに読んだら変わっている子って正しい考えだろうか。
テレビや新聞の信用性がない中、取材元に感想見せたりするなど信用性の確認している一員にも思える。
インターネットが普及し、自由に情報や意見が書ける中で、ネット記事など軽く記事を読み、一行程度で終わらすのが一般化。
記事を深読みし、記事元を動かす行動力はどこから出たのだろうか。
自分の高校時代には「社会に出たら文章を読み取り、契約の判断や、文字で伝える力が必要」と認識し、ワープロで企画書を作ったり出来る事で専念した。
書くのは苦手だが、ワープロがあったおかげでキーボードを通して表現ができだ。
そして、自分が欲しい情報を求めて行動したのは確かだ。
梅田明日佳君との違いは新聞の中に欲しい情報があった・なかったからと思う。
そして、行動できる範囲にさまざまな図書館や博物館などがあったから出来た行動。
こどもの時住んでいた街を見ても自分が行ける所は学校の視聴覚室だけだ。
行ける場所に博物館のような電化屋さんはないし、○○博物館なども無いのが現実。
当然鍵は学校が管理しているので図書館のようにいけない・・・。
視聴覚施設同等の博物館はまったくないし、街の図書館にも読みたい工学系本は無い。
高校行っても図書館行ってもない。県の図書館行ってもない。専門新聞も無かったと思う。
一番夢がかなったのは「情報通信月間」で県内の放送局やCATV局見ることが出来た。
当然アナログ時代だが、見られる範囲で興奮した。
マスター室や報道スタジオなど見たったが範囲には含まれず・・・。
ほぼ自由な局は設備を舐めまわすようにみた。
当時のCATV局では上りで生中継する仕様だった。局近くで昼に起きた事件の中継していた事は覚えている。
中継は局外から通常まったくしないので、最初で最後ではなかったのでないのかと思っている。
最後に見た設備はBSデジタルのデジアナ変換送信。
一体型専用機ではなく、アナログ信号のチューナ出力をCATVに変換しているスペースだった。
コミュニティーチャンネル放送しているので応援しているが、
放送事故も含め、声が数件ないと対応しない局で、毎回見た番組でその回いつ見ても放送事故。
いわゆる納品マスターの変換作業中のミス。放送事故が無かったように訂正放送もなく・・・。
しかし、ココ数年みても「情報通信月間」は昔より元気が無い。コスト削減なのか、テレビ離れとか後退しているのに
社員募集のページがあるのは・・・。
それだけ何もない街だから何もできなかった。国会図書館が目の前にあればと思いつつ。
梅田明日佳君のようなことは梅田明日佳君の街と彼がいたから出来たこと。
「好奇心を見つけ行動する彼」と「有名大学の合格だけが目的」を比較してもまだ「変わった人」だろうか。
エジソンのマンガを最近読んだが、
「学校に行かず、電車乗って図書館に行きすべての本を読んだことも好奇心からであり、
一方で数学は苦手で、数学が得意なスタッフが常に近くにいてエジソンを助けていたそうだ。」
今の日本では、みんな同じロボットを作りたいのか、「アウトプットが同じ仕様を作る教育」をしている。
初めて聞いたとき、日本を変えてくれるんじゃないかと思ったのが「東京大学の異才発掘プロジェクト
ROCKET」だ。
ROCKETは、単に頭がいいとか腕がいい大学生とかではなく、例えば「国語はダメだが○○の好奇心ある子どもや10代だ」。
人間は必ず欠点があるはずなのに、同級生や親は「ふつうではない」「以上だ」って言われた。しかし、大人がその個性を尊重し、その方向に伸ばしていく場があることに夢と希望を感じた。
ROCKETには
例えばパソコンで立体的に家の設計図を書いて家を作りたい人や工事の人にも材料やサイズなど示すCAD(キャド)というのが有るが、
そのCADが頭に入っているような10代の子どもも、学校行けば教科はすべてが普通ではない。
大人になると得意な一面を評価し、手を組む人は相手が出る。
エジソンだって母親の理解があったこそ好奇心を尊重し、
不得意な数学を認識して数学が得意なスタッフと一緒にいたからこそ、
今のインターネットやスマホが手元にあると考えることが出来るはずだ!!
ノーベル化学賞を受賞した
白川英樹さんが
「言語にはコミュニケーションの道具としてだけでなく、考えるための道具としての役割がある。人は母語で学ぶことによって、より核心に迫った理解ができる」と日本語を学ぶ重要性を語っている。
日本人は日本語の本に囲まれて生活している。
文章を書かなかったら何時までも書けない。人間の思考は書くことで同時に推進する。
詰め込み形の教育では「中身の無い記録力の箱が大きいだけが大学に行けるだけ。」
今の環境は手を出せば物や軽い情報があるので不自由はなく、好奇心は生まれないので科学離れは起きるのは当然だ。
輝いている人間は、自分自身の欠点を知り、回避する方法を模索して見つけた結果、他に無い花が咲いた。
梅田明日佳君もきっと現場や地域など変えてくれるひとりになるかも。
文系で学んでも理系で学びなおせる大学があればいいですね。
家に帰るのも応援していますよ~。
大人が会社辞めることが出来るのだから、学校でも一方的に押さえつけるのではなく、
子どもにも選択する場や大人になっても学びたいときに学べる場を作り、人としての形を作るべきではないかと思い書いた。
学校の先生だって辞めたいと思えばやめられるし、仕事中にトイレに行きたいと思えば行けるのだから、
無理やり未来の設計図も無いのに、学校に行く、席に座る、授業を受ける事は、あなたの個性をつぶすだけ。
いじめられて学校に行けないとか、ブラック校則で理解できない、ブラック教師でイジメや体罰、選んだ道が違うのではと思ったならば「転校という硬い話ではなく」、
平日の朝10時でも街の図書館や博物館に誰にも指図されずに行ける事や
保育園や幼稚園でのこどもの相手、高校や大学の授業覗いたりとか、
違う空気を吸うことで日本語が学べるのではないかと提案します。
指図されずに行ける環境であれば、虐待の直感を感じたり、見て見ぬ振りを防止する可能性がある。
「ドローンが無かったらひきこもりだった」って言っているドローン界で有名な
髙梨智樹さん。
義務教育の教科書の中にドローンは有るだろうか?
環境に合わなければ選択肢を与えるのが、税金の使い道であるはず。
子どもの投資を渋った結果、おとなの引きこもり、ロボットのようなゆとり教育仕様などできるのは当然だ。
自分と重ねたり、多角的にみた結果と自分の視野を大まかに書きました。
原稿用紙何枚かな???
エジソンの現代風再現
やってみてね